きょうは、「一万人の第九」佐渡レッスンに参加してきた。
「一万人の第九」は、賽の河原の石積みに似ていると思う。
通常の合唱であれば、合唱団員が固定しているので、積んだ努力の結晶は、将来の公演に活かされる。「一万人の第九」では、4か月間の各位の努力の成果は、たった1回の公演でご破算となる。
このような、「賽の河原の石積み」に、どのような意味があるのだろうか?
ひとつは、やり直しの利かないワンチャンスのために努力することの価値である。しょせんは素人の合唱、音楽の水準は、プロの演奏には比較できないであろう。でも、目標に向かって、みんなが石を積むことに価値があると思うのだ。
もうひとつは、石を崩すことの価値である。毎年、だれでも石積みに参加できるからこそ、多くの人が感動の場面に立ち会える。「一万人の第九」が、エンターテイメントとして25年間成立してきたことで、クラシックの敷居を下げたことは、間違いないだろう。
今日のレッスンで、佐渡さんは、「合唱は1回しかできないのだから、感情をこめてベストを尽くせ」ということが言いたかったのだったと思う。技術論は最低限にして、スピリットの部分に時間を費やしておられたという印象を受けた。
わたしは、中学校で応急手当を教えるが、最近、技術よりもスピリットを伝えるほうがよいのではないか、と考える。つまり、応急手当法の技術を様々教えることはできるのだが、将来にわたって残ってほしいのは、応急手当法のスピリットである。
「救急車を待っていては遅い。時間は戻ってこない。だから、倒れている人がいたら、まず声をかけて、不完全でもその瞬間でやれることをする」ことが最も重要である。
一事は万事に通ず。なにごとをやるにしても、その瞬間にベストを尽くしたいものだ。